コロナ禍を生き抜く力

おそらく人間がいなくてもほぼ大体のものは機械がやってくれる時代になるだろう。

人間より正確で早い。無駄なことをしない。

無駄なことに時間は使いたくないと言う人にはその方が断然いい。

当たり前だよ。人に与えられた時間は1日24時間。増やすことも減らすこともできない。わざわざ2時間かけて移動して欲しい物を買ってくるより、ポチッと押して家に届けてもらえる方がいいに決まってる。

では、この世から本屋さんはなくなるのか?洋服屋さんは無くなるのか?

本は全てデジタルになり外食して接客してくれるのはすべてロボットになるのだろうか?

もし、ただ言われたことを忠実にこなそうと仕事をしている人間ばかりであればきっとそうなる。

もし、「仕事は仕事。早く終わらしてさっさと帰ろう」という人間ばかりであればきっとそうなる。

当たり前だよ。それなら機械にやってもらった方がよほど早くて正確な仕事をしてくれる。

じゃあ人間がいる意味ってなんだろうか?

アナログである意味はなんだろう?

 

ぼくは、絶対に機会は人間を超えることはないと思っている。

だってそこに"心"は永遠に存在しないから。

最初の話に戻ると、本屋さんで買わなくても本は手に入る。本なんかなくても携帯のデジタル版で本は読める。

僕も実際、携帯で本を読みます。電車の中でわざわざ本を出して隣の人を気にしながら本を開かなくてもいいから 笑。電車の乗り換えでわざわざ本閉じてバックにしまわなくてもいいから。

でも、紙を一枚一枚めくって本を読むこと以上に贅沢を感じることはない。

携帯で読む本は外でむだなく情報を得たい時。

自分の世界に浸って贅沢な時間を使う時は紙の本の方が断然いいと思ってる。

 

極端な話をするとiTunesで聴く音楽と生でアーティストのライブを見に行くのとは全然違うでしょ。

どんだけこの世が機械に支配されようとライブだけは絶対になくならない。

それは家の中で映像で観るより、実際に足運んで自分の目で見るというアナログなことだから得られる価値である。

つまるところ、本屋も服屋も飲食店も全部一緒で。アナログである意味は沢山あって、人でないといけない意味は沢山ある。

だって実際、会って手に取って目で見ることによって得られる情報や感動は携帯でポチッと押して得られる物とは比べ物にならならない。

買いものがしたくてショップに行ったところ、自分の好みを知っている店員さんが新しい新商品の情報を教えてくれたり、もう少しでセールになるのでそれまで待った方がいいと教えてくれたり。そんな体験はアナログなだからできることだったりする。

 

コロナの影響で様々なものがオンライン化するだろう。

人が動かなくても物を買い食事をし仕事ができる時代になっている。

でも、人の働きは絶対なくなることはない。飲食店も服屋もスーパーも。

どうしてそれが必要か。それを理解して働かなければあなたの仕事は機械が代わりにやってくれることになる。

 

あなたにしかできない仕事だから人間がやる意味がある。