社長、コロナだよ

うちの会社でコロナ感染者が出た。
珍しい話ではなくなってきたのかな?でもぼくの身近がなるのは初めて。
自分とは違う店舗の店長なので直接は会わないのだがそのお店が大丈夫なのか少し心配になった。
あそこは営業どうするんだ?

もともとウチの社長はコロナはただの風邪だしインフルエンザの方が危ない。こんな金稼ぎの為にあおったニュースを報道するメディアに騙されるな!
と主張する人間だった。
それはぼくも同感している。
ただコロナという単語に怯え、インフルエンザが流行する時期にもマスクをしていなかった人たちが急に全員マスクをしだす世の中が不思議だった。

ただしかし、会社LINEに送られてきた社長のLINEにぼくは不思議に思いイライラした。
会社でコロナ感染者がでたが今まで通りお店は営業すること。
コロナはそもそも風邪であり危険ではないことや全員がそれをちゃんと理解しているのかってこと。
毎日自分たちの生きていく銭を稼ぐことの重要性。云々、、。
しかもこの時の社長は何が問題なんだ?という態度前面だった。


いやいや、ちょっと待て。
話の論点がズレまくっている。そんな事はもう知っている。
コロナの危険性なんてどうでもいい。
問題はその伝え方と平然と通常通り営業するというその対応だ。

ちなみにこの時、保健所の指示をしっかり守っており、営業すること自体に問題はなかった。
が、しかしスタッフ30人とその家族をかかえている会社の社長がやるべき対応ではないと思った。
しかも社員全員が密で集まる全社メーティングも予定通り行うと言うのだ。おいおい社長。どうした?

ぼくは社長が好きだ。でもその対応は好きじゃない。
スタッフが30人もいる。コロナに対していろんな考え方を持っている人が30人いるということだ。そしてこのキーワードは今はまだナイーブな問題。

いくら社長の考えが正しくても自分が正しいと主張することは先決すべきでない。
それはスタッフからの信頼と信用を失うことになると。

実際それが原因で2人が会社を辞めていった。ぼくにとってはかなり貴重な存在だったのでそれだけでも痛手なのだが、そこからかかる求人やまたイチから人を育てるというコストも痛い。

もし、この時社長が「感染者に関わったスタッフ(この時は2人だけ)は今すぐPCR検査にかけるからその間だけお店は閉める。問題がなければすぐに営業開始するので休ませるスタッフの分までみんなで頑張ろう!」と言っていれば。
きっとみんなが社長とこの会社のために頑張っただろうに。
その一声で、2人の貴重なスタッフを失わずにすんだ。

社長の言った事は確かに正しいだろう。ただその正しさを主張し行動したことで貴重な財産を失ったのだ、、。

人生を楽しむ人になろう

2021年3月5日

ぼくの好きなジョヴァノッティを聴きながら、、

あんなにストレス抱えて働いてきた時に聴いてた曲なのになんだか今は癒される

 

 

とにかく自分が楽しく生きれるように自分の周りを固めてしまおう。

そう思った仕事の帰り道。

ハイボールの缶を片手に少しほろ酔いになって人生を楽しくする方法を考える。

 

そう思えば全て楽しく生きれるじゃないか、オレの人生。

さっきVoicyに熱中しすぎて乗り過ごした電車も、帰ってきてトイレに入ったら使い切ってあったトイレットペーパーの芯も、子どもたちのおもちゃの残骸も。

全部笑えてくる。楽しくていいじゃないオレの人生。

 

料理人になりたいした給料もなくできてできちゃった結婚をした俺。

お金をどうしたらもっと稼げるかを考え続けて本を読みあさり、副業のやり方をググりまくった。

結婚6年目、全然お金は稼げてないけどひとつだけ理解できたことがある。

自分が熱中できて楽しいと思ったことをひたすら追求し続けること。

そして人を幸せにしたいという気持ちをずっともつこと。

 

目の前にいる人の笑顔も。何か嫌なことがあって沈んでいる職場の仲間も。大好きな奥さんと子供たちも。

少しだけ、ほんの少しだけユーモアに想像して全部楽しくしてしまおうと思った。

だってみんな大好きだからさ。

 

強制されるのはすごく苦手。人に気を使うのも苦手。気を使われるのも苦手。

好きな時にご飯を食べ、好きな時に音楽を聴き、好きな時に1人になりたい。そして精一杯人を幸せにしたいと、それがぼくの本性なんだと気づいた37歳。

 

歌い、笑い、食べ、飲み、仕事をする。誰かに何かを求めるのはもうやめよう。

ぼくが楽しく幸せになることを考えよう。

だってイライラしている暇はぼくにもうないから。

もう37歳。人生を無駄にしないためには人生楽しむしかないでしょ。

 

コロナと共に

コロナが流行りとても難しい時代になりました。
多くの人が感染を恐れながら生きています。
仕事が減り、収入が減り、ストレスは溜まる一方。
電車に乗れば少しせきやくしゃみをしただけで白い目で見られる。実際、思い込みもあると思うのですがそう感じてしまう、、。
でもある意味では偽物がなくなり本物だけが残る新しい時代に入ったとも言えます。
ただ流行りに乗っていただけの会社はなくなり何も考えずに仕事していた人は必要ではなくなる時代です。
会社に雇用されているから安心だと、ただ言われたことだけをやってきた会社員は生き残れません。
時代の変化に対応できない人は生き残れない時代です。

会社だけでしょうか?
リモートワークで家で仕事をするようになった人が奥さんから邪魔者扱いされる場合があるそうです。お世話をしなきゃいけない人が増えるからです、、。
まさに、今まで家族のことを考えずに古い考えでやってきた結果です。
自分は仕事をするから家族はお前が見てくれと。
家庭をかえりみず、奥さんの気持ちを何も考えなかった人はこのコロナという正念場になって奥さんのストレスの根源であることをさらす結果になっています。
おそらく、何も考えずに仕事してきた人は職場で結果は出せず家庭でも居場所がない人になるでしょう。
本当はコロナなんか関係ありません。そもそも自分が招いた結果です。高度成長期をへて日本は裕福になり、必死にならなくても生活できるくらいに日本は豊かになりました。
たまたま何も考えなくても生きていけたのはラッキーな時代です。
今だにそのナゴリがありその世代に育てられた子どもたちはその考えのを受け継いで就職活動に入るのがまだ現状じゃないでしょうか。
家庭でも夫が仕事に集中するので家のことはお前に任せる!という態度は今だに完全に抜けていません。
そもそも、家庭を犠牲にして仕事をするくらいの器しかない人間はその程度の人間です。
今、このコロナのおかげでもう1度自分のことをしっかり見つめる良い機械になっています。
自分はこのままでいいのだろうか。
職場で、家庭で、自分は必要な存在だろうか。
そう問い詰めたとき、もう少し成長できるはずです。
人は唯一無二の存在です。全員が。
だからこそもっと向上して前に進んでほしい。コロナと共に。

 

 

コロナ禍を生き抜く力

おそらく人間がいなくてもほぼ大体のものは機械がやってくれる時代になるだろう。

人間より正確で早い。無駄なことをしない。

無駄なことに時間は使いたくないと言う人にはその方が断然いい。

当たり前だよ。人に与えられた時間は1日24時間。増やすことも減らすこともできない。わざわざ2時間かけて移動して欲しい物を買ってくるより、ポチッと押して家に届けてもらえる方がいいに決まってる。

では、この世から本屋さんはなくなるのか?洋服屋さんは無くなるのか?

本は全てデジタルになり外食して接客してくれるのはすべてロボットになるのだろうか?

もし、ただ言われたことを忠実にこなそうと仕事をしている人間ばかりであればきっとそうなる。

もし、「仕事は仕事。早く終わらしてさっさと帰ろう」という人間ばかりであればきっとそうなる。

当たり前だよ。それなら機械にやってもらった方がよほど早くて正確な仕事をしてくれる。

じゃあ人間がいる意味ってなんだろうか?

アナログである意味はなんだろう?

 

ぼくは、絶対に機会は人間を超えることはないと思っている。

だってそこに"心"は永遠に存在しないから。

最初の話に戻ると、本屋さんで買わなくても本は手に入る。本なんかなくても携帯のデジタル版で本は読める。

僕も実際、携帯で本を読みます。電車の中でわざわざ本を出して隣の人を気にしながら本を開かなくてもいいから 笑。電車の乗り換えでわざわざ本閉じてバックにしまわなくてもいいから。

でも、紙を一枚一枚めくって本を読むこと以上に贅沢を感じることはない。

携帯で読む本は外でむだなく情報を得たい時。

自分の世界に浸って贅沢な時間を使う時は紙の本の方が断然いいと思ってる。

 

極端な話をするとiTunesで聴く音楽と生でアーティストのライブを見に行くのとは全然違うでしょ。

どんだけこの世が機械に支配されようとライブだけは絶対になくならない。

それは家の中で映像で観るより、実際に足運んで自分の目で見るというアナログなことだから得られる価値である。

つまるところ、本屋も服屋も飲食店も全部一緒で。アナログである意味は沢山あって、人でないといけない意味は沢山ある。

だって実際、会って手に取って目で見ることによって得られる情報や感動は携帯でポチッと押して得られる物とは比べ物にならならない。

買いものがしたくてショップに行ったところ、自分の好みを知っている店員さんが新しい新商品の情報を教えてくれたり、もう少しでセールになるのでそれまで待った方がいいと教えてくれたり。そんな体験はアナログなだからできることだったりする。

 

コロナの影響で様々なものがオンライン化するだろう。

人が動かなくても物を買い食事をし仕事ができる時代になっている。

でも、人の働きは絶対なくなることはない。飲食店も服屋もスーパーも。

どうしてそれが必要か。それを理解して働かなければあなたの仕事は機械が代わりにやってくれることになる。

 

あなたにしかできない仕事だから人間がやる意味がある。

成長する人としない人

前にできなかったことができるようになり前からできていたがもっとクオリティが高くなったらすごく嬉しい。

自分ができることの範囲が広がっていく=成長=満足感だと思う。

でも、大事なこととしてそれを自分だけでなく他者が認めてくれたとき初めてその成長は本物?になるんだよ。

周りの人間も自分が成長したと思っている時それは自他共に認める成長ってやつになる。

自分は周りから認められいるのか?って考えられる人間じゃないと本当に成長してるかは分からないかもしれない。

で、簡単な話、もっと成長したいって思ってる人。考えて行動する人は当たり前だけど成長する。

今、自分がやっていることに真面目に向き合って、日々改善し、修正して前より良いものにする。それができる人は間違いなく成長するよ。

すごく当たり前なんだけど意外とこれできない人多くて、、、。

"仕事できる子"って言われる器用でなんでも早く仕事をこなせる子ほど意外とできない。

もちろん、頭で考えてる。毎日改善もしていくんだけどその根本は"もっと効率的に動いて早く仕事を終わらせて自分が楽になりたい"っていう考え方がもとになってる。

けしてみんながそうなわけではないし、それが悪いわけでもはない。

だけど"もっと良い仕事がしたい"もっとクオリティを上げたい"もっとお客さんに喜んでもらいたい"っていう考え方とは全く反するもので成長にはまるで結びつかない。

 

これだけはわかってほしい!

よほどの天才でない限り

"課せられた仕事を効率的に仕事をして終わらせようと思った瞬間!課せられた仕事すらいつかできなくなる"

天才なら別です。

でも俺は今までそんな天才を見たことがない。99%は凡人なのでまず与えられた仕事のクオリティを上げることに専念すべき。それができない人に成長はない。それに気づく人もまず少ない。

 

普通の企業で働いて何も考えなくても給料は出て結婚してそのまま仕事引退ってパターンならそんなこと考えなくてもいいと思うかもしれない。

でも、仕事より子どもを育てることの方がどれだけこの考え方が大事か全ての人にわかってもらいたい!

職場に必要な3つの要素

かつて旅行業界の革命時、HISの澤田秀雄社長がハウステンボスを再建させる時に気をつけたことは3つだけだったそうです。

①挨拶をすること

②整理整頓をすること

③ちゃんとした身なりをすること

これだけです。すごい簡単です。小学生でもできることです。

でも、これをやってない会社がいかに多いことか、、、。

それは個々が悪いのではなく集団となったときそうなる傾向にあります。

挨拶をしない。したとしても小さい声で相手に聞こえない。

物をきちんと元に戻さない。よく使うものもあまり使わないものも乱雑に置かれている。

営業職なのに体臭やタバコの匂いなど気にせずそのままになっている。

髪がボサボサだったり洋服の着方がだらしない。それでもなんとなくOKな雰囲気ができてしまっている。

 

わたしのような飲食の職場では挨拶をしない現状はとてもよくみられます。髪がボサボサだったりズボンをだらしなく履いていたりする若者も非常に多い。

でもそれは飲食業だけに限らず一般の企業でも見受けられるようです。

よく見るとそうゆうお店は職場内の清掃も行き届いていません。

トイレが汚かったら棚が埃だけでそのままだったりします。

 

全てを含めて言えることですが、あまりにも多くの人が「大人にもかかわらず自分以外の人がどう感じるのか想像できていない」ということにあります。

一人一人が個々で行動するときにはできても集団になるとできないという場合もあります。

挨拶をすることも整理整頓をすることも身なりをきちんとすることも相手がどう思うかを想像することができれば自然とできることです。

これはわたしの場合、上司、お客様、部下、妻、子ども全ての場合にあたはまります。

職場に必要なだけでなく全ての場面で必要なことです。

ぼくがブログを書く理由

金が欲しい。副業がしたいです。

初めは100%それが目的で、今でもいつか収入になればいいなってずっと思ってます 笑

料理人の俺は忙しさは人並み以上、年収は人並み以下。

結婚して子どもが産まれ、お金に困った俺はなんとか隙間時間で副業ができないかといろいろ調べまくり、株、FX、せどり、ポイントサイトといろんなことを試しました。

ただ、当時の職場が1日16時間労働で週休1日の俺にはどうしても副業は難しく続きません。

唯一ブログだけはただ書くだけなので始めるのにも続けるのにも支障がないと思い今だに続いています。忙しすぎて疲れたら休めばいいと気軽に思っていますが書く頻度は段々と増えてきています。

 

今ブログを書く大きな理由は

第①に本を読むのが好きなせいか文章を書くのが意外と苦じゃない。

 

第②に文章にして残しておくと当時の気持ちをもう一度読み返すことができる。

 

第③に自分の気持ちを文章にすると頭で考えていただけでは気づかなかった自分の思いに気づくことができる。

 

第④に本を読んでインプットしたことを文章にすることによってさらに記憶に定着することができる。

 

第⑤にもしかしたら自分と同じような境遇の人がぼくの文章を読んで役に立つことがあるかもしれない。

 

などなど。

もうお金を稼ぐとかではなく、それ以外に自分にとって利点となることがたくさんありました。

向き不向きはあると思いますが日記のような感覚で一文でも書き始めてみたら意外な自分に気づけるかもしれませんね。